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  • 執筆者の写真籠師会

SUMOというオーディオメーカーと、SUMO PolarisⅢ。




SUMO(相撲)という名をブランドネームにしたのは実にジェームズボンジョルノらしい。


そのネーミングセンスの斬新さは過去手掛けてきたアンプを眺めて見れば誰しもが納得せざる得ないだろう。


彼が辿ったSAE→GAS→SUMOという大きな流れは周知の通りである。


彼がデザイナーとして手掛けたアンプは正にメーカーの存在を色濃く残すものであり、現在でもその名が色あせないのは彼の熱狂的なまでのファンがいかに多いかということの裏付けでもある。


Morris Kesslerが1967年に設立したSAE(サイエンティフィック オーディオ エレクトロニクス)は回路技術を多くの人に伝えるべくして名付けられたオーディオメーカーで、SAEにはブランド名と回路技術の二つの意味がこめられている。


当時競合の多かったソリッドステートアンプで双璧を成していたMarantzやDynaco等と比べて、新興会社であったSAEが高価格帯アンプ市場に参入するのは非常に敷居が高いものだったことだろう。


大衆向けとして低価格帯のアンプが多く制作されていた中、SAE MarkⅡがそれらと同等、又はそれ以上の評価を得たことは、SAEの持つ技術力の高さを知らしめる分岐点になったと言ってもいい。





しかしすでにMarantz model.15やDynacoでジェームズボンジョルノがエンジニアとして参加していたことは彼の天才的な能力を如実に表しているのではないだろうか。





その後彼がSAEで手掛けたMark XXIV/2400/2600やIVDMを眺めて見ると、GAS(グレイト アメリカン サウンド)へと通じる流れを感じるとともに彼の一貫したアンプへの思いを感じ取ることが出来るのである。


テスラコイルを思わせる、ビカビカと放たれる大電流から直に発せられるような音の印象はスピーカーを破壊するアンプとして有名になってしまった彼のアンプの汚名であるとともに特徴的なポイントであるといってもいい。





同じくオーディオエンジニアのDavid Hafler(Hafler Audio)がそんな危ういアンプ回路をパラシュートと表現したことは想像に難しくない。


保護回路はパラシュートのような危機回避的なものではあるが、パラシュートを開く機会はその時だけであって、むやみに開く機会はない。


言われてみればそうだが、家電製品にそこまでのリスクを持たせるのは、彼の一貫した音質へのこだわりがあってのことなのだろうか・・・


大きな電力から生み出された音のこだわりはまさしく破壊的な匂いのするGODZiLLA(ゴジラ)、AMPZiLLA(アンプジラ)へと通じるものだったに違いない。





~アンプから発せられる音が人間を脅かす~


そんな印象を思わせるGAS AMPZilLAの当時の広告は聴く人々に強烈な印象を残していたことをマジマジと思い知らされるものだった。


その後ジェームズボンジョルノは拡張資金を得るためにGASの一部を売却し、半ば追い出されるかのようにしてGASを後にし、その後に立ち上げたのがSUMOである。


SUMO(相撲)というパワフルなネーミングを付けた彼の精神は実に一貫している。


SUMO THE POWERやSUMO THE GOLDを眺めて見れば一目瞭然なのだが。



自分が運よく手にしたPolaris/ポラリスというパワーアンプはSUMOの中でも最後発にあたるアンプで、同時期の姉妹モデルに上位機種のAndromeda/アンドロメダと、下位機種にUlysses/ユリシーズというモデルが存在した。





またTHE NINEからTHE TENへとグレードアップしたモデルが出始めたのもこの時期ではないかと思う。





SUMOの後期モデルは、アンプを固定するハンドル部が手前にエラのように張り出している。


Ⅰ/Ⅱ(1991年)とモデルチェンジされ、最終的にⅢまでモデルチェンジされたようだがⅡまでの仕様はどうにか探すことができるのだが、Ⅲはほんとど出回っていないようで生産数自体が極少数だったと思われる。


コントロールアンプにはATHENA/アテナというモデルがあったのだが、いずれも“星”や“神話”に関するネーミングになっているのは彼の意図したところだったのだろうか・・・ELECTRA/エレクトラなんてモデルもあったけど・・・


彼がこの世に放った最後の作品、AMPZiLLA2000が世に出るまでは、恐らくSUMOとして最終モデルだったのがこのモデル帯になる。





ブルーカラーが特徴的なAMPZiLLA2000。



SUMO最終モデルに近いPolarisⅢを手に入れたのは非常に運が良かったと言っていい。


そもそもSUMOのアンプ自体日本国内では流通がほとんどというか皆無に近いほどなく、有名なショップでも数年に1回取り扱いがあるかないかというレベルだから、手に入れる場合は海外のオーディション(eBayやセカイモン)の力を借りるしかない。







当時の定価32万円という値段だが、物量というよりはサウンドデザインに重きを置いた価格設定な気がしてならない。


なんせ重量は15kg前後だから、日本の物量投資に価値観を置いているようなオーディオマニアからしたら発狂ものだったに違いない。


ちなみにPolarisⅠは直コードだったが、Ⅱからは分離式になっている。


またⅡにはバランス接続は無く、アンバランス接続のみだった。


Ⅲになり順当に進化していっているのがうかがえる。


当時YAMAHAのコントロールアンプC-70で鳴らしていたのだが、音の濃さというか濃密さが際立っていてMarantzやNakamichiのプリメインでさえ霞んでしまうほどだったから流石といったところだった。


耳に入ってくる音の量が多くて、人によっては雑味に感じてしまうような部分も拾ってしまうから、なんかこう音楽の熱気を肌で感じるような聴き方になってしまうんだけど、他のアンプには戻れないそういう魅力がひしひしと伝わってきたんだよね。


SAEやGASに比べるとモダンな音に聴こえるかもしれないけど、全てのジャンルの曲でも一応は繊細に音を拾っていてなかなかに完成されたパワーアンプだなという印象だった。


SUMOを聴いた後に同じ音楽ファイルをONKYOのアンプで聴くと音が痩せたように感じてしまうのは単に音の好みの問題で片づけてしまってはいけない“差”のようなものがはっきりと感じられた。


恐らくこういう部分がジェームズボンジョルノを強く支持するオーディオファンを惹きつける魅力なんだろうね。





2013年に我々は偉大なオーディオ設計者を失った。


そのニュースは日本ではほとんど知らされることのないものだったが、わたしの中では大きな衝撃だったといっていい。


一つの歴史が終わりを遂げたような、そんな感覚。


オーディオの一時代を築いた彼の功績はあまりにも大きく、深く大衆に染み入っていたのかもしれない。


現代のオーディオはいまもなお彼の敷いたレールの上を走っている。


ハイレゾやデジタルオーディオの台頭も著しい昨今、より際立って彼の作品が再評価されることを祈りたい。


自分自身ジャズを志し、ジャズに最善のオーディオを生み出してきた彼が今どのような思いでオーディオの発展を見守っているか、我々は想像することしかできない。






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