YAMAHA

YZF-R6 1999 5EB

​水冷並列4気筒4ストローク

​120PS

全長:2025mm 全幅:690mm 全高:1105mm 軸距:1380mm

169kg

​¥800.000~900.000

ヤマハYZF-R6といえば古くはFZR、その後サンダーキャットという愛称で親しまれたツアラー風のYZF600Rが先代だった。

当時スズキからは1997年にGSX-R600、カワサキからは1998年にZX-6R、ホンダからはCBR600F3が先代からモデルチェンジされていて、ツアラーから600ccクラスのレースモデルとしての仕様を多少盛り込んだツアラースポーツのようなモデルラインナップにシフトチェンジされていた。

そんな中ヤマハから1994年に発売されたYZF600Rサンダーキャットは、ツアラー色を持ったままモデルチェンジされずにロングセラーされたモデルだったから、1999年にYZF-R6が誕生するまではヤマハの600クラスのスポーツバイクは各社から大分遅れをとっていたといえる。

ただ、それまでYZF1000RサンダーエースとしてくすぶっていたリッタークラスのYZFシリーズは、1998年に”初代R1”としてモデルチェンジされたことを皮切りに、ヤマハはリッタースーパースポーツとしてのジャンルを大きく開拓し、600クラスのスーパースポーツにも多大な影響を与えた。

だからヤマハは遅れをとっていた600クラスを1000クラスで挽回し、後に600クラスで1000クラスを挽回していくというなんとも面白い流れをたどっていった。

最後発でありながら後の600クラスのミドルSSに激化の一歩をたどらせる火種となったのが、YZF-R6の1999年、5EBモデルと言えよう。

初代R6は前年に衝撃的なデビューを飾った初代R1の弟分的なラインナップではあったが、当時600cc市販車として初のリッター換算200PSという化け物的なスペックを引っ提げてきたから、当時最速であったことは言うまでもない。

明らかにレースだけに的を絞ったデザインで、先代の街乗りやツアラーユース色は一切排除されたガチガチのレーシングマシンだった。

ヤマハの600クラスからこんなガチガチのエキサイティングレースマシンが出てくるなんて誰も予想していなかったから、R6が出た直後の各社はホンダがCBR600F4とほぼ先代を引き継いだデザイン、カワサキは先代のZX-6Rを引き継いだデザイン、スズキは750が主体だった。

シートやハンドルのデザインだけ見てもまだまだ先代を踏襲していて、街乗りユースやツアラーを意識したモデルだということが分かる。

恐らくヤマハがR6を出すことが分かっていればこういった中途半端なラインナップは世に出ることが無かったのかもしれない。

600クラスのレースが激化していたという背景を含めれば必然的であっともいえるが、R6が与えた影響は大きく、上のラインナップを発表した後の各社の600クラスは明らかにR6を意識したモデルとなった。

現行のモデルにもつながるデザインの完全なレースベースのスーパースポーツが並ぶ。

ホンダはCBRのツアラーモデルをFとして、レースモデルをRRとした初代CBR600RR、カワサキはクラス最速を目指したモデルチェンジ、スズキは750主体から遅れて先代よりも大幅に馬力をアップしたラインナップ。

馬力がそれぞれ、ホンダが119PS、カワサキが118PS、スズキが115PSだった。

最も先に生まれたはずのR6の120PSという馬力がどれだけ凄いものだったかお分かりいただけるだろう。

ミドルクラスはこの後、熾烈な馬力争いの一途をたどり、600クラスベースで上位排気量モデルが開発されるという、正にメーカーの先進技術を盛り込んだクラスへと変化をとげていった。

 

 

 さてそんな熾烈なミドルクラスの火種となってしまった記念すべき?YZF-R6にわたしが乗るきっかけになったのは、この珍しいカラーリングだった。

とあるバイク屋で見つけたR6は、わたしが知るヤマハカラーとは大きく異なったインパクトのあるカスタムカラーだった。

モータースポーツに親しみのある人ならひょっとしてピンとくる人がいるかもしれない・・・

当時天才ライダーと呼ばれ、MotoGP王者ヴァレンティ―ノ・ロッシがレースを目指すきっかけとなった憧れの存在、阿部典史、通称ノリック。

一般道での悲運な事故によりそのレース人生に幕をおろした伝説のライダー。

その事故の衝撃的なニュースはモータースポーツを愛する全ての人の胸に大きな傷を与え、まだその傷が癒えることはない。

今でも語り継がれる伝説のライダー阿部典史が、R6が発売されるその年にレースで起用していた名車、YZR500こそ正にこのカラーリングを模したヤマハのマシンだった。

1999年、WGP500cc、アンテナ3・ヤマハ・ダンティンのチームから参戦した阿部典史のYZR500。

このYZR500は2スト最終モデルとしてミュージアムにも飾られている。

アンテナ3とは当時メインスポンサーだったスペインのテレビ局のことである。

特徴的な”6”ナンバーとアンテナ3のロゴに、ミシュランのキャラクターがデザインされている。

この年に発売されたR6にこのカラーリングを模したことは並々ならない意図がとってみれるのではないだろうか。

だから街乗りでも、レースをよく知る人から声をかけられたことは珍しいことではなかった。

R6自体の乗り味はパワーからすれば大分マイルドな乗り味だった印象がある。

下から上まで特にクセのないふけ上がりで、この後にフルモデルチェンジされたウナギ目のR6に比べるとキャブ車らしいドン付き感のないスムーズなフィーリングだった。

R6自体ショートストローク高回転ミドルの代名詞みたいな扱いで、下がスカスカで使い物にならないなんて言われてたけど、キャブ車の初代R6だけは下からも太いトルクがあって街乗りでも本当に乗りやすかった。

ただ11000回転を超えあたりからはもう先が見えないような強烈な加速で、R6の真骨頂はここからか・・・なんてビビりまくりだった記憶がある。

だからR6シリーズで一番乗りやすいのはどれか、と聞かれたら間違いなく初代をおススメするだろう。

シート高はそこまで高くないんだけど、幅が広いぶん足つきはそこまでよくない。

​むしろシート幅がスリムな現行のほうが高さはあるのに足が伸ばしやすいかもしれない。

ブレンボのブレーキマスターに、WP(ホワイトパワー)のステアリングダンパー、バックステップ、アクラポビッチマフラーとそのままレースに出ても全く問題ない装備だった。

​まだまだ未熟だった自分に”スーパースポーツ”というものを一から教えてくれた教科書のお手本のようなバイクだった。

 

次の持ち主に旅立つまでそれはそれは愛着を持って乗っていたバイク、それが初代R6。

​もしはじめてミドルクラスのスーパースポーツに乗るという人がいたら真っ先に選択肢に入れてもらいたいなぁ。

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